戦場ジャーナリスト
2025-09-26 10:47:38

大阪出身の戦場ジャーナリストが描くウクライナの戦争の現実

戦場ジャーナリストとウクライナの衝撃的な現実



大阪出身の戦場ジャーナリスト、五十嵐哲郎さんがウクライナの戦場でどのように過酷な現実と向き合っているのか。それを追ったドキュメンタリー『戦争のリアルを追って 〜戦後80年の戦場記者〜』が30日、テレビ大阪で放送されます。五十嵐さんは、NHKの報道ディレクターからフリーの記者へと転身。戦争の現実を「誰かが見に行かなければ、決して知ることはできない」との信念で、取材を重ねています。

戦場の厳しさと使命感



五十嵐さんは、2022年2月から続くロシアのウクライナ侵攻を取材するために、NHKを退職しフリーの記者としての道を選びました。戦場に向かうという選択は容易ではありませんでしたが、「危険な前線に立たない会社員」という立場では限界があると感じた彼は、信念に従い家族とも相談の上、前線へ飛び込む決意を固めました。

彼が初めてウクライナの地に降り立ったのは2022年9月たったの1度目。この取材は、彼の心に深い傷を残しました。爆撃の音が響く中、建物の遺構や、泣き叫ぶ子供たちの姿など、目を背けたくなる光景が広がっており、少しでもその「リアル」を伝えようと彼は奮闘しました。しかし、取材を続けることは精神的にも肉体的にも厳しいものであり、PTSDに悩まされることに。

家族との葛藤



五十嵐さんは、2人の子供を持つ父親でもあります。妻が彼の危険な仕事をどう思っているのか、心配や葛藤が広がる中、彼が取材を続ける理由とは何なのでしょうか。取材を重ねる中で、目の前で家族が引き離される瞬間を目撃し、戦場の現実が家族に及ぼす影響を痛感することとなります。そのため、彼は日本に帰国した際も、戦場の記憶がフラッシュバックし、決して忘れることのない痛みと向き合わせながら日常を送っています。

転機となった記事



数回の取材の中でも、彼が特に心に残ったのが一人の「音楽家」と呼ばれた中年兵士の話です。この記事は、前線の激しい戦闘や悲惨なシーンを伝えるのではなく、一人の兵士の人生に深く迫る構成となっていました。この記事が多くの人々の心に響き、五十嵐さん自身の葛藤を乗り越えるきっかけともなりました。その後、この兵士の生徒たちへの楽器や音声機材の支援を行うボランティアの動きも生まれ、徐々に手応えが感じられるように。

心の支え



今後も五十嵐さんは、戦場の現実を伝えるために、再びウクライナへ向かうことを決意します。「ほな戦争にいってくるわ。2週間くらいで帰ってくる。」という言葉で子供たちに見送られる彼は、明るい顔を意識して作りながら、心の中には次なる危険への不安が渦巻いています。しかし、支えてくれる多くの人々の思いが彼を一層奮い立たせます。この精神の力が、彼の取材活動にどのように寄与していくのでしょうかこのドキュメンタリーは、彼の使命感と葛藤をリアルに描き出し、視聴者に深い感動と考えさせるきっかけを提供します。ことことで、戦場ジャーナリズムの新たな形を見いだそうとする彼の姿勢に注目です。


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