被爆体験を語り継ぐ意義と平和を願う心
2023年7月、東京の生活協同組合パルシステム東京は「広島」とオンラインをつなぎ、戦後80年を振り返る特別イベントを実施しました。この場には、130名を超える参加者が集まり、被爆と戦後の歴史を語る機会となりました。特に、ノーベル平和賞を受賞する見込みの日本原水爆被害者団体協議会の箕牧智之さんが登壇し、戦前から戦後にかけての核兵器廃絶の重要性を訴えました。
箕牧さんは1942年に東京で生まれ、東京大空襲を経て広島に疎開。その地で被爆を経験した彼は、幼少期の恐怖を今でも鮮明に思い出します。戦後の苦難の中、彼の母は帰らぬ父を探し回り、そこで放射線を浴びてしまったのです。このような個人の歴史が、核兵器廃絶運動の源泉となっていることを強く感じます。
「私たちが訴え続けているのは、決してあきらめない精神です。」と箕牧さんは言います。彼は自らの被爆体験をもとに、核兵器の使用がもたらす悲劇をアメリカの小学校でも伝えています。そこで、ある女の子が涙を流し、その思いが彼女に届いた瞬間を共有する一方で、多くの大人たちの認識の低さにも驚きました。
箕牧さんは「お互いを理解し合うことが、平和を築く鍵です」とも述べています。有効的な対話の中で、過去の痛みを語る重要性を再確認しました。その一方で、彼は被爆者の平均年齢が86歳を超え、将来の世代にどのようにその体験を伝えていくかが大きな課題となることを危惧しています。
続いて、同じく被爆二世の多賀俊介さんが登壇しました。彼は教師として平和教育に取り組んでおり、生徒たちに戦跡を巡るフィールドワークを通じて、戦時下の真実を伝えています。しかし、過去の教員に被爆体験を語るよう依頼した際に、「話して分かることではない」と返されたことに衝撃を受けたと語ります。その瞬間、彼は被爆体験の語りの重みを深く受け止めることとなりました。
多賀さんは「聞いてくれる人がいるから話せる」と語り、被爆の恐怖を伝えることがどれほどの勇気を要するものかを説明しました。戦後における差別や言論弾圧の歴史も振り返り、未来のために戦争反対の声を上げ続ける大切さを強調しました。
被爆者の一人、中西巌さんの言葉も印象的です。「平和は口で唱えるだけではなく、行動を伴わなくては失われてしまいます」と呼びかけました。彼は次世代に向け、被爆や戦時中の体験を語り続けることの必要性を強調しています。
パルシステム東京は、今後も異なる世代との対話を大切にしながら、一人一人が平和のためにできることを考え続けることを誓いました。このようなイベントを通じて、次世代に受け継がれるその想いが、平和な未来の実現に繋がることを願っています。