スバルレガシィの開発秘話を探る
12月6日、BS日テレで放送される『おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!』では、特別なゲストを迎えます。そのゲストとは、初代スバル レガシィの開発を手掛けた辰己英治さんです。スバルが誇るこの名車の開発秘話や、背負った思いについて深く掘り下げます。
レガシィの誕生背景
レガシィは1989年、スバルのフラグシップモデルとして登場しました。当時、売上が振るわない状況下で、スバルは社運を賭け、開発に巨額の投資を行いました。開発の責任者であった辰己さんは、「安全、安心を追求するため、走行性能に全力を尽くした」と話します。その情熱は、実際の走行試験にも表れています。
辰己さんは、レガシィのために約100万キロも試運転を重ねたといいます。莫大な走行距離を重ねることで、車の特性や味をしっかりと理解したとのことです。MCのおぎやはぎも、その数字には驚きを隠せません。
開発の舞台裏
辰己さんは、当時スバルの状況を、「バブルとは無縁で、苦しい経営だった」と振り返ります。売上不振を受け、開発者は実際にディーラーへ出向き、そこでの販売戦略や消費者の声を直接体験。これが、開発現場の危機感を呼び起こし、さらなる改善意欲を刺激したと語ります。
「変わるべきは変わる」との覚悟で挑んだ開発が行われ、辰己さんは前例のない金額の開発投資を実現しました。今振り返ると、それは「天文学的な数字」とも称するもので、スバルがこのモデルに懸けた信念を感じることができます。
欧州車との競争意識
辰己さんは、開発の際「高級欧州車と競争する意識」を持っていました。特にドイツ車の進化には圧倒され、「追いつき、さらには追い越す」という目標を掲げて、開発に取り組んでいたのです。ドイツでのテスト走行では、思いがけない発見もあったとか。
国内販売終了の寂しさ
今年3月、スバル レガシィは日本国内での販売を終了しました。このニュースを受けて、MCの小木博明氏も「これは本当に寂しい」と、感慨深い思いを吐露しました。レガシィは日本自動車殿堂に認定され、惜しまれつつもその歴史に幕を下ろしました。辰己さんは、この車にかけた自身の思いを素直に語ります。
最後に
辰己英治さんの登場する『おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!』は、スバル レガシィの魅力と歴史を深く理解する絶好の機会です。彼の言葉を通して、愛車の背景にある物語を感じ取ることができるでしょう。ぜひ、午後9時からの放送をお見逃しなく!